宝物の品々

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■祭礼絵巻(江戸時代)

総勢五百余人に及ぶ豪華で盛大な生身天満宮の神幸行列が描かれています。巻末には祇園会を思わせる、孟宗山、紅葉狩、神楽山、若葉摘という山が描かれています。
寛延3年(1750年)、藩主小出英智の特命により古来からの祭祀を重んじた神幸行列が定められ、藩費を以て諸費が負担されることとなり、後続くこと百十余年に及びました。祭礼絵巻からは盛大な様子が伺い知れます。
現在も、祭礼絵巻に描かれている神寶、八角輪、御冠などの祭礼道具は、例祭には役員が捧げ持ち行列に加わっています。祭礼道具の箱裏書から、小出英智が同じ寛延3年(1750年)に奉納されたことが分かっています。(参照:「生身天満宮の歴史」へ
南丹市立文化博物館には、生身天満宮神幸行列の模型と祭礼絵巻のパネルが常設展示されています。

■無量義経徳行品(平安末〜鎌倉時代)

菅原道真公直筆と伝えられる格式高い貴重なものです。紺地の紙に金字で「無量義経」が百二十行に渡り書かれた経巻で「熊野本宮将軍家奉加三十部」のうちの一巻。料紙の風合いや書風及び表紙絵のすぐれた作風から、平安末から鎌倉時代の書写と考えられます。

■束帯天神図 土佐光元筆(室町時代)

土佐光元は織田信長、豊臣秀吉に仕えました。画面上部に3色の色紙型があり、後陽成天皇の勅筆と伝わる七言絶句が記されています。また、同図には後陽成天皇宸翰の極札2枚、折紙1枚が付属しています。(参照:「菅原道真公とご神徳」へ

■渡唐天神図 狩野秀頼筆(室町時代)

狩野秀頼は元信の次男で「観楓図屏風」で知られています。左側で袖を合わせ少し腰を捻り、狩野元信様を継承していますが、表情に秀頼特有の特徴が見られます。

■渡唐天神図 土佐光起筆(江戸時代)

土佐光起は、保守的な土佐派に狩野派の画風を導入し新様を創造し土佐派を再興しました。「北野天神縁起絵巻」などの代表作があります。本図は狩野元信様をとっています。なお、本図裏面と箱蓋裏書に安永6年(1777年)奉納と墨書きされています。

■生身天満宮社頭図(江戸時代)

本図は嘉永5年(1852年)の創建950年祭のおり、それを祈念して奉納されたものです。裏面には12名の奉納者の名前が列記されています。縦80cm横170cmある板着色の大判で、明治以前の生身天満宮の社頭の様子が分かる興味深い図です。

他に亨保15年(1730年)に藩主より奉納された「神輿」や「宝刀」、天保13年(1842年)の100枚分揃う「おみくじの版木」、大阪冬の陣・夏の陣に参戦したと伝わる江戸時代の「具足」、園部村出身の画家、大塚春嶺筆による「琴棋書画図屏風」や「三十六歌仙」など貴重なものを多数蔵しています。

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