武部源蔵と「菅原伝授手習鑑」

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豊原国周筆「菅原伝授手習鑑」

武部源蔵と生身天満宮

武部源蔵の墓(生身天満宮境内) 生身天満宮の始祖は「武部源蔵」です。元名は「武部左衛門治定」といい、菅原道真公の別荘があった園部の地の代官を勤めていました。その縁から菅原道真公が左遷される際に八男慶能君を預かり匿い育て、存命中から菅原道真公を生祠(いきほこら)としてお祀りし、生身天満宮の礎石を創始します。以来、「武部源蔵」の子孫である武部家が代々社家として宮司を仕え、平成の現代も引き継がれています。

日本三大歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」

 この「武部源蔵」は、「忠臣蔵」「義経千本桜」と並ぶ日本三大歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」に登場することでも名高い人物です。「菅原伝授手習鑑」は、近松門左衛門作の「天神記」を菅原道真公の神話を素材に、さらに発展させ、竹田出雲らが合作した全五段の創作の物語です。

 その四段「寺子屋の段」に「武部源蔵」と菅原道真公の子「菅秀才」が登場します。この段は、生身天満宮の由緒と共通するものが多く、生身天満宮の由緒を戯曲化して描いていると考えられます。おおまかに次のような内容です。

 菅丞相(菅原道真公)には、菅家の屋敷を預かる忠義心のあつい家来、白太夫がいました。この白太夫に三つ子の息子、梅王丸・松王丸・桜丸が生まれます。菅丞相からの「三つ子は天子の守りとなる」との仰せにより、3人それぞれ、梅王丸は菅丞相、松王丸は藤原時平、桜丸は斎世親王の家来に引立てられます。兄弟は菅丞相に並々ならぬ恩を感じていました。

生身天満宮縁起「武部源蔵退穏寺子屋の図」 菅丞相の左遷後、その子実子菅秀才をゆだねられた忠臣武部源蔵は、現在の京北町芹生に隠棲します。菅丞相の筆法の秘技を受け継ぐ唯一の弟子であった武部源蔵は、筆法を伝授するため夫婦で寺子屋を開きます。そうしながら菅秀才を我が子と偽り匿い暮らしていました。それを嗅ぎつけた藤原時平が、菅秀才の首を討つよう迫ります。

 武部源蔵は、窮余の一策で、新しく寺入りしてきたばかりの小太郎の首を討ち、菅秀才として検視役の松王丸に差し出します。顔を知っているはずの松王丸は、なぜかその首を菅秀才と認め帰っていきます。再び白装束で松王丸が寺子屋に現れ、小太郎は我が子であり、自分は藤原時平の家来でありながらも菅丞相の恩に報いるため、菅秀才の身代わりとなるよう寺入りさせたことを打ち明けるのです。

 武部源蔵夫婦にとっては命掛けの偽首、松王丸にとっては犠牲になった自分の子を見届けなけらばならない、緊迫した最も盛り上がる見せ場が「寺子屋の段」です。

 「菅原伝授手習鑑」は歴史上人物をモデルにしながら、武部源蔵や白太夫、三つ子の兄弟など登場人物が菅原道真公に深く忠義をつくす様や、菅原道真公の霊が崇められていく様などが描かれています。根底に流れる厚い天神信仰が実感される偉大な傑作です。

生身天満宮への行き方緑深い天神山の麓に位置する日本最古の天満宮。美人祈願の神様をはじめ、多種多彩な神様をお祀りする神社としても有名です。