日本最古の天満宮のいわれ

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全国で約12000社ある天満宮の中で唯一、菅原道真公在世中に生祠(いきほこら)として祭祀したことから生身(いきみ)天満宮と称し、日本最古の天満宮である。

生祠として祭祀した最古の天満宮

 生身天満宮が鎮座する園部の地は、菅原氏代々の知行所であったため小麦山(現園部公園)に菅原道真公の邸殿があり、度々ここに来られていました。後に生身天満宮の始祖となる武部左衛門尉治定(後に武部源蔵と改めました)は、当時の園部の代官で、菅原道真公をお迎えする立場として交流がありました。

生身天満宮縁起「菅公 武部源蔵に御留別記念品拝領の図」 延喜元年(901年)2月、菅原道真公は、藤原時平らの策略により、太宰権師(長官)として筑前太宰府へ左遷を命ぜられます。これを聞いた武部源蔵は、都の東寺まで左遷途上の菅原道真公の後を追います。東寺正殿で対面を果たし、悲痛なお別れを申し上げた時、菅原道真公より御形見として、松風の御硯に添えて御歌を賜り、同時に密かに八男慶能君養育の内命を受けました。託され引き受けた武部源蔵は、慶能君を連れて園部へ戻ります。そこでつぶさに苦労を重ねて慶能君をかくまい育てながら、ひたすらに菅原道真公の無事の御帰洛を待ち侘びることとなります。

 同延喜元年(901年)の春、日夜菅原道真公への敬慕の情が切なる余り、また慶能君のご愁嘆を慰めるため、武部源蔵自ら菅原道真公の御木像を刻みました。そして小麦山邸内にひそかに祠を建てて生祠(いきほこら)と称し、御木像を奉齋し菅原道真公と仰ぎました。時々の五穀を供えて幼君と共に日夜礼拝してご安泰を祈り、深く崇敬の誠を尽くしました。

 しかしその甲斐なく2年の後、延喜3年(903年)2月25日無念にも菅原道真公は太宰府で薨じられたので、この生祠を霊廟と改め神忌を務めました。その後、天暦9年(956年)に慶能君及び恩顧の人々や里人らと図り、かねての霊廟を神社と改め千年の時を越えて現在に至ります。

 このように、全国で唯一、菅原道真公が生きておられる時に生祠として祭祀したことから、生身(いきみ)天満宮と称し、これが日本最古の天満宮といわれる所以です。

合格梅のご紹介 菅原道真公がこよなく愛された梅。生身天満宮の梅園を彩った梅を翌年正月より「合格梅」として合格祈願に訪れる受験生の方々に授与させて頂いています。